Updated on 2024/04/20

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OISHI, Masahiko
 
Affiliation
Faculty of Letters, Arts and Sciences
Job title
Professor Emeritus
Degree
博士(文学) ( 早稲田大学 )
 

Papers

  • マレーヴィチ考

    大石雅彦

    人文書院    2003.04

  • 聖ペテルブルク

    大石雅彦

    水声社    1996.12

  • 水声社

    大石雅彦

    「新青年」の共和国    1992.12

  • ロシア・アヴァンギャルド遊泳

    大石雅彦

    水声社    1992.01

  • О понятии “фактура”

    Масахико Оиси

    Japanese Slavic and East European Studies   8   39 - 55  1987.10

     View Summary

    In the Russian Avant-Garde concepts are as important as works. Many original concepts came into being there and they grew traversing from one art to another. In order to understand the Russian Avant-Garde it is necessary to comprehend such concepts. Among these concepts are montage, construction, displacement (sdvig), bestrangement (priem ostranenija), and a device laid bare (obnazenie priema); and faktura is also one of these concepts. Many concepts in the Russian Avant-Garde are derived from the visual arts. However, it may be said that montage and faktura are typical examples. While faktura has been used as a divice of painting since the birth of pictures, it is avangardists that developed faktura as a concept. Faktura stands on the position of the general economy of art and therefore it can free us from the constrained economy of art. As techne mediates between nature and culture, so faktura mediates between materials and texts. Therefore, it belongs to both the real materials and the devices of art. Faktura in the Russian Avant-Garde can be classified into three categories: (i) faktura in pictures, (ii) faktura in Russian Cubo-Futurism, (iii) faktura in Constructivism. They all have a common aim, which is to sharpen the sense of materials. We can find faktura not only in these three spheres, but also in novels, cinema, music and plays . However, we shall detail especially these three kinds of faktura. Faktura leads to the problem of ostranenie, at the same time to the concept of L. Hjelmslev "mening". In a few words, faktura is the springboad, by which experimental arts can spring into new forms of expression over the old conventional system of art. Faktura rejects the painting space based on perspectives, destroys the neutral and homogeneous language space, and erases the boundary between art and life. This concept is based on noise, material, process, environment and correlation between facts. The dynamics of the Russian Avant-Garde is guaranteed by the traverses of such concepts as faktura.

    CiNii

  • О понятии “фактура”

    Масахико Оиси

    Japanese Slavic and East European Studies   8   39 - 55  1987.10

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Research Projects

  • ロシア・アヴァンギャルドにおける文化現象としての音

    Project Year :

    2019.04
    -
    2022.03
     

     View Summary

    本研究は、20世紀前半のロシア・ソ連文化、とりわけロシア・アヴァンギャルドという芸術運動における、文化現象としてあらわれる「音」を横断的に検証し、それを可能とした感覚・知覚の時代的布置を明らかにすることを目的とします。そのことを通して、たとえば、音の複製技術の登場、電子音楽等の音楽装置の発明、環境音への自覚化など、技術革新や音の概念の拡張が、同時代の社会及び諸芸術や文化に与えた影響を詳らかにします。また、積極的に、ここで得られた研究成果のアウトリーチにつとめ、当時の音響実験装置や電子楽器等の実物展覧会やそれにあわせたシンポジウムの開催なども予定しています

 

Overseas Activities

  • ロシア・アヴァンギャルド映画          アウトサイダー・アート

    2013.04
    -
    2014.03

    ロシア   ロシア国立文学芸術アーカイヴ

    スイス   アール・ブリュット美術館

  • ロシアの映画と写真

    2002.09
    -
    2003.09

    ロシア   国立映画大学

Internal Special Research Projects

  • エイゼンシテイン『方法』の草稿研究、ならびにエイゼンシテイン対ヴェルトフ論争研究

    2009  

     View Summary

     本研究の課題は二つあります。エイゼンシテイン『方法』の草稿研究、ならびにエイゼンシテインとヴェルトフとの関係です。以下、それぞれの成果について述べます。 1)『方法』は未完かつ未刊の大部の理論書であり、死後刊行された『方法1、2』(クレイマン監修)は必ずしも最良の形で構成されているとはいいがたいものです。実際、ブルガコヴァはクレイマンの提示する構成に対して疑問を投げかけています。 この構成の問題に迫るために、わたしは2009年の9月に3週間ほどモスクワに滞在し、ロシア国立文献保管所(ルガーリ)において、『方法』の草稿に、可能な限りあたりました。この短い期間では、すべてを丁寧に調べるというわけにはいかなかったのですが、クレイマン監修本の構成の問題点は、見えてきました。 クレイマンは幾つかの大テーマ別に草稿を分類し、そしてその分類から洩れたものを付録として括っています。草稿の本来の構成コンセプトが多方向的に、モチーフの連想によって連結されることを意図したものである以上、クレイマンのような構成法をとると、この連想運動の自由が妨げられることになります。著者の意図にそったもっとも効果的な配列法(アレンジメント)として思いうかぶのは、できる限り細かなモチーフ別の断片に全体を分割し、それらを円環状に配列するものです。そしてそれを、モチーフの連想的つながりにしたがいつつ、読みすすめていくのです。エイゼンシテインが望んでいたように、この読みには初めも終わりもありません。彼の夢がマラルメやフレーブニコフの思い描いたような一冊の本(多価関数的な)にあったからには、これ以外に、本としての構成は考えられないでしょう。『方法』は、情報体・本・世界の鎖列を考えるのに、格好のフィールドといえるでしょう。 2)エイゼンシテインとヴェルトフの問題に関しては、わたし自身今までにも触れてきましたが、今回改めて二人の「イノセント・アイ」の違いがどのようなものなのかを考えてみました。映画眼によって築かれるイメージ・運動・イデオロギーの連鎖に、両者ともに、肉眼にはかなわない視覚のイノセント性を見ていました。そこに異なるジャンルの「記憶」が介入する過程で、二人の差異は生まれます。1920年代初期にあっては、劇映画と非劇映画というものが、いまだジャンルとしての「記憶」を充分に確立できていなかったために、逆に二人はジャンル意識に強くしばられ、激しい衝突を繰り返すことになったのです。ドキュメンタリーと劇(物語)映画の線引きが単純にはできなくなっている今日、二人の交わした論争はより大きな意味を持つといえます。

  • カジミール・マレーヴィチと文化としての抽象

    2000  

     View Summary

     本年度は、予定している著作の第4章、第5章、第6章をかきあげ、全体を完成させました。400字詰原稿用紙に換算すると1200枚ほどになります。これから原稿の調整にとりかかり、今秋には刊行したいと思っています。以下に、第4章、第5章、第6章の概要を記します。 第4章は「思想としてのスプレマチズム」を扱い、第1節「『四次元』の問題系」、第2節「レーニンそのものと主義になったレーニン」にわかれています。第1節はスプレマチズムと神秘主義の関係を、第2章は政治の美学化と美術の政治化の関係を論じています。 第5章は「『太陽の征服』上演」をテーマとし、第1節「詩と絵画のインターフェイス」、第2節「立体未来主義の祝祭」にわかれています。第1節は芸術のインターフェイス化を、第2節は祝祭としての『太陽の征服』上演を問題としています。 第6章は「世界の造形」を扱い、第1節「教育・研究・行政――ウノヴィス、ギンフク」、第2節「飛行都市」にわかれています。第1節は革命後の美術学校における教育・研究・行政の相互関係を、第2節はデザイン思想の誕生を論じています。

  • カジミール・マレーヴィチの抽象芸術

    1999  

     View Summary

     本年度は、予定している著作の第3章「スプレマチズムへ/からの生成変化」のうち、Ⅲ)「立体未来主義」Ⅳ)「スプレマチズム」Ⅴ)「ポストスプレマチズム」、第4章「思想としてのスプレマチズム」のうちⅠ)「『4次元』の問題系」をかきあげました。 Ⅲ)「立体未来主義」では、キュビスムとイタリア未来派の影響のもとにどのようにマレーヴィチのスタイルが形成されたのかを考察しました。二つのスタイルのメタスタイルとしてできた超理性的リアリズム、アロギズムが速度と新しい幾何学にもとづく革新的なスタイルであることが明らかになりました。 Ⅳ)「スプレマチズム」では、従来あまり注目されてこなかったスプレマチズムの段階的形成をおってみました。「白地の上の黒い正方形」から白いスプレマチズムまでをおうなかで明らかになったのは、潜勢的相、現勢的相、可能相、現実相といった4つの相が複合的にかさなりながら絵画テクストが構成されていることです。 Ⅴ)「ポストスプレマチズム」では、今まで社会主義リアリズムに屈したスタイルとされてきたものが、実は社会主義リアリズムのシミュラークルであることを明らかにしました。それとあわせて、1928年以降の印象主義的作品、立体未来主義的作品が1910年代のスタイルのシミュレーションであることも立証しました。 Ⅰ)「『4次元』の問題系」では、1910年代にアヴァンギャルド芸術に大きな影響をあたえた4次元思想について論じました。ここで問題としている「4次元」は相対性理論にいう4次元連続体ではなく、非ユークリッド幾何学、n-次元幾何学、神秘主義等をもとに成立したものです。スプレマチズムの誕生にさいして4次元思想は大きな役割をはたしました。ただし、4次元思想は1919年以後相対性理論の浸透とともに変化します。この変化がマレーヴィチに及ぼした影響にも言及しました。

  • 芸術家カジミール・マレーヴィチを中心としたロシア・アヴァンギャルドにおける抽象の問題

    1997  

     View Summary

    1)資料収集―1997年の8月末から9月初めにかけて、ロシアの都市(モスクワ、ペテルブルク、ヴィテブスク、キエフ)を訪れ、マレーヴィチに関する資料を50点ほど集めるとともに、当地の研究者と情報の交換を行いました。2)執筆を進めているマレーヴィチのモノグラフのうち、今年度は、第一章「マレーヴィチという問い」、第二章第一節「絵画という<システム>と<付加的要素>」を執筆しました。400字詰原稿用紙に換算すると、その量は350枚程度になります。第一章は、マレーヴィチが画家であるよりも、むしろ絵画を根底から問う一つの問い、問題構制であることを明らかにし、その<問い>が20世紀の絵画史の中でどのように展開されてきたのかを跡づけています。第二章第一節は、マレーヴィチの抽象が造形行為である前に、まず思考としてあることを闡明するとともに、彼の概念<付加的要素>をとおして、印象主義からスプレマチズムまでの絵画史をたどっています。研究成果の発表2001年3月(予定) 人文書院、『無対象世界――カジミール・マレーヴィチ(仮)』